TRUNK

37年前に考えたこと

1985年、当時9月に開催されていたミラノサローネを初めて視察しました。
この視察・取材を契機にイタリアとの長い関係がスタートしました。
イタリアデザインの開かれた世界は、私には眩しく刺激的でした。
併せて、産業と文化がしなやかに繋がり、同軸上で巧みに言語化されていました。

当時の日本のデザインは、産業界の一端を担う役割で魅力的には写りませんでした。
一業界でした。こうした体質を変えるにはどうしたらよいのか、
若かったせいか真剣に考えました。

当時整理したマトリックスには、
一つ、デザインの展覧会を通して広くデザインの理解を深める機会を創出できないか。
二つ、10万部を超えるメディアが必要だ。
言葉にすれば、マーケットエデュケーションでした。

課題に上げた二つは、その後、富山県、横浜市、世田谷区、新宿OZONE、
汐留イタリアで活動の機会に恵まれ、着実に実行していくことが出来ました。
メディアは、JDNの立上げに参加し今日まで25年間若手デザイナーを紹介してきました。
会社の名としたT・RUN・Kは、私が走ると言った意味を込めています。

そして、いつの間にか長距ランナーになりました。
教科書にない独自の手法をバージョンアップさせながら
様々な機会をプロデュースしてきました。
クライアントで公私に渡って、長くおつきあいをいただいた
酒井正明氏(当時キヤノン理事、総合デザインセンター所長)からは
「どんなに良いことを考えても実行できなかったらゼロだ」と、厳しい教えを頂きました。
そう「創造」と「実践」、その「結果」を求めて、走り続けている日々です。

次の課題は、大きく変化する時代を透視し
新たなスキームを創出していかなくてはなりません。
もっとダイナミックな動きが必要です。
これからは様々なスペシャリストと共働し、
時代の求めるスピードと本質を追究していかなくてはなりません。
TRUNKは、次の時代の可能性を求め、さらに前進します。

株式会社TRUNK
ファウンダー 桐山登士樹